こんにちは。
電話の工事してるのに、あまり電話ネタがない事に気づきましたm(_ _)m今日はそっち系で書きます。
私も知らなかったことなんですが、昨日は「公衆電話の日」だったそうです。昨日、車のカーナビが朝のスタート時に「今日は9月11日月曜日、公衆電話の日です」と教えてくれました。
調べたところ、1900年(明治33年)9月11日に後の公衆電話となる自動電話が東京に設置された日だそうです。当時は、相手につなぐ役目を担う交換手を呼んで、手動で繋いでもらってたそうです。それから100年以上がたち、通信手段も大きく変わりましたね。公衆電話もあまり見かけなくなりました。
弊社所在地をNTT西日本のホームページで「公衆電話 設置場所検索」をしてみると、屋外の終日利用可能な公衆電話は「4台」。地図を見ても「そんなとこにあったかな?」と思ってしまうくらいでした。
少ないのもわかります。もうこれだけ携帯電話が普及してるから、あえて公衆電話を使うことはありませんからね。無くてもいいやんと業界の人間ながら不謹慎な事を考えてしまったのですが、公衆電話の設置は総務省の基準に基づいての事だというのが調べて分かりました。
(総務省の資料より)「総務省の基準に基づき設置される公衆電話」
社会生活の安全及び戸外における最低限の通信手段を確保する観点から、市街地においては概ね500m四方に1台、それ以外の地域においては概ね1km四方に1台という基準に基づき設置される公衆電話(第一種公衆電話)をいいます。
と記載があります。例えば災害・犯罪に巻き込まれた等で携帯電話が使えない、手元に通信手段が無いような事態になったときのために、国が基準を設けて設置を義務付けているということです。公衆電話の存在が日常から非常の存在価値へと変わったというわけですね。
公衆電話での思い出は、NDSさんでお世話になってた頃の事。愛知県の一宮で宅内(ユーザー)の仕事で、毎年行われる大相撲の名古屋場所の相撲部屋へ臨時の公衆電話を設置してたのですが、その時にCMで見たことある当時は「マルハッチ!」でおなじみだった、東関親方(元高見山関)と曙関(まだ若かったです)に間近でお会いできたときでした。めちゃめちゃ大っきくて圧倒されそうでしたが、とっても優しくお話してくれたことを思い出します。
電話が誕生して、行動の効率が非常に良くなりました。自動電話のあるとこへ行って、〇〇のとこへ繋いで!って交換手へ頼んでたのが、各家庭で電話が使えるようになり、ポケベルが誕生して外出してても呼び出しが入って、最寄りの公衆電話から折り返せるように、そして携帯電話の誕生で、おおよそどこにいても連絡がとれるようになりました。
便利なことはいいことです、でも当然にしてはいけません。
もし当然のものが使えなくなったら・・・。
だから公衆電話はもしもの時のために、あり続けると思います。もしもの時にちゃんと繋がるように回線を私達電話工事屋が守ってます。
手動、有線どっちも安全な社会生活には、残し続けなければいけないと考えます。